« [7st]【Apple】創成期 (2007/1/24) | トップページ | [7st]【Apple】ジョブズ復帰 (2007/1/24) »

2007年1月24日 (水)

[7st]【Apple】ジョブズ追放、WinになれなかったMac (2007/1/24)

[ジョブズ追放]

1981年
        スコットは能力不足を理由にマークラに解雇された。
        暫定的にマークラが社長の座についたが、
        ジョブズは(会長ではあったものの)
        自身の経営者としての資質に疑問を抱き始めており、
        スコットの後任としてマーケティングに優れた社長となる
        人物を連れてくる必要に迫られた。

ジョブズは、ペプシコーラの事業担当社長をしていたジョン・スカリーに白羽の矢を立て、18ヵ月に渡る引き抜き工作を行った。このとき、スカリーを口説くために彼が述べた言葉、「このまま一生、砂糖水を売りつづけるのか、それとも世界を変えるチャンスをつかんでみる気はないのか?」(Do you want to sell sugar water for the rest of your life, or do you want to change the world?) はあまりにも有名である。

1983年
        ジョン・スカリーはアップルの社長の座に就く。
         ジョブズとの関係はダイナミック・デュオと呼ばれるようになり、
         二人の関係は常に良好だった。

1984年1月
         Macintoshのデビューに立ち会い、順調に経営が進行する
         ように思われた。

しかし、
1984年
        クリスマスシーズンは、需要の予測を大きく誤り、
        Macintoshの過剰在庫に悩まされることになった。
        この第四-四半期で初の赤字を計上、
        従業員の1/5にあたる人数の削減を余儀なくされた。
        アップルの経営を混乱させているのはジョブズだと
        スカリーは考えるようになった。

1985年4月
      Macintosh部門からの退任をジョブズに要求、
     取締役会もこれを承認した。

スカリーはこれで穏便に済むと考えていたが、ジョブズはスカリーが中国に出張している間に彼をアップルから追放することを画策した。このことはジャン=ルイ・ガセーにより事前にスカリーに伝えられ、

1985年5月24日
      取締役会でジョブズの画策をスカリーが問いただし、
        他の取締役にスカリーとジョブズのどちらか選ぶように告げ、
        取締役のほとんどはスカリーを選ぶ。

1985年5月31日
      ジョブスはにアップルでの(会長職以外の)すべての業務から外された。

スカリーは「一番の大株主であり、会長でもあるのだから大人しく引退することを望んでいた」と言うが、それに反するようにジョブズは当時所有していたアップルの株を1株だけ残して約650万株をすべて売却し、NeXT社を創立した。それと同時にスカリー宛てに郵送で辞職願を提出し、会長職も辞任した。



[Newton (ニュートン)]

1990年
      スカリー自身は技術者でないのにも関らず、
     アップルのCTO (最高技術責任者)に着任した。

1992年
    CPUにARM を採用し、ペンデバイスによる手書き
         認識などを実現した PDA、Newton Messagepadを発表した。

初代Messagepadはシャープと共同開発されたと言われており、シャープにとっては後のZaurus(ザウルス)のヒットへと繋がる事となる。世界初のPDAとなったMessagepadはNewton OSと言う独創的なOSを採用し、ペンデバイスで入力した文字をそのままテキスト文書として保存が出来る事が特徴だった。それ以外にもフリーハンドで書いた文字や絵を保存する作業をせずに電源を落としても、電源投入後にはそのままの文字や絵を表示させる事が出来、メモ帳(紙)にとって変わる新しいコンピュータの方向性を示した物と言える。

[WindowsになれなかったMacintosh]

ジョブズがアップルを去ったのに前後して、マイクロソフトのビル・ゲイツから「AT&Tやヒューレット・パッカード、ソニーなど有力メーカーにMacintoshのOSをライセンスするべきで、ゲイツ自身もその手助けを惜しまない」という内容のメールが送られた。ゲイツは自社でのOS開発凍結も考えていたほど本気だったようだ。当時のWindows 1.0は縦軸と横軸を組み合わせただけの様な代物で、IBMの推奨するPC-AT規格と言うあまりにも膨大すぎる規格と、当時のメモリ容量では目に余る限界などもあり、GUIと言った快適な環境には程遠い状態でもあった。

スカリーはOSライセンスの可能性について調査を指示したが、技術陣からの猛反対を受けてこの提案は闇に葬られた。この判断は後々、スカリー最大の失策とも言われ、後に「性能は上回るアップル社がソフト面でマイクロソフトの後塵を拝する」一因とされる事となった。

[アップル売却交渉]
ニュートンや政治(スカリーはビル・クリントンの大統領選挙応援に力を入れていた)など、Macintoshに力を注いでいないスカリーの行為に、アップルの取締役会は、不信の目を向けるようになった。

1993年
           業績が大幅に悪化する。

1993年6月18日
      ストックオプションなど約1000万ドル相当の退職慰労金を
      手にスカリーはCEOを退任し、アップルのヨーロッパ市場
      で功績を上げていたマイケル・スピンドラーが新たなCEO
      に就任する。

1994年   
         低価格Macintoshのパフォーマシリーズを増産してクリス
      マスシーズンを迎えたが、スピンドラーはこの需要予測を
      大きく外し、この四半期で赤字は8000万ドルに達した。

1995年
      アップルはキヤノンとIBMとフィリップスに交渉を持ちかけ
      るがが断られてしまう。

1996年1月23日
        サン・マイクロシステムズにも交渉は断られてしまう。
           その後の取締役会で、スピンドラーは責任を取らされる形
      でCEOの座を下ろされる事となる。

マイク・マークラを筆頭とするアップルの取締役会はスピンドラーの後任として、かつて倒産寸前だったナショナル・セミコンダクターを再建したギルバート・アメリオ (ギル・アメリオ)をCEOの座につけた。アップル再建の道標となるべく一歩を踏み出した。

アップルトップ

アップル創成期
ジョブズ追放
ジョブズ復帰

世界四季報トップ

|

« [7st]【Apple】創成期 (2007/1/24) | トップページ | [7st]【Apple】ジョブズ復帰 (2007/1/24) »

海外四季報」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/179841/5052951

この記事へのトラックバック一覧です: [7st]【Apple】ジョブズ追放、WinになれなかったMac (2007/1/24) :

« [7st]【Apple】創成期 (2007/1/24) | トップページ | [7st]【Apple】ジョブズ復帰 (2007/1/24) »